「日産のエース」と呼ばれるはずだったレーサー
オートモデラーの集いで日産横浜工場ゲストホールへ行ってきましたw
エンジン展示場もあってR382のV12エンジンに見とれてて、「日産のエース」 と呼ばれるはずだったドライバーを
エンジン展示場もあってR382のV12エンジンに見とれてて、「日産のエース」 と呼ばれるはずだったドライバーを
思い出したので記録しておきますw
黒澤 元治(1940年8月6日 - )は、日本の自動車評論家であり、元・レーシングドライバー。
1960年代から1970年代に掛けて自動車競技で活躍した後、評論家に転向した。
「ガンさん」のニックネームでも知られる。
1960年代から1970年代に掛けて自動車競技で活躍した後、評論家に転向した。
「ガンさん」のニックネームでも知られる。
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右が黒澤、左は高橋国光
1968年、日産の追浜ワークスの所属へ。
1969年の日本グランプリに日産・R382で出場し優勝、高橋国光と北野元とともに
1969年の日本グランプリに日産・R382で出場し優勝、高橋国光と北野元とともに
「追浜ワークス三羽ガラス」などと称され、日本を代表するレーシングドライバーとなった。
その後は、日産ワークスドライバーとしてスカイラインGT-Rなどで活躍した。
その後は、日産ワークスドライバーとしてスカイラインGT-Rなどで活躍した。
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R382
KPGC10 Skyline GT-R
石油ショックによりレース活動を中止した日産ワークスを一人飛び出した黒澤は個人でレース活動をはじめる。
富士グランドチャンピオンシリーズなどでも強さを見せつけたが、ワークスドライバーが参戦できるようになった
富士グランドチャンピオンシリーズなどでも強さを見せつけたが、ワークスドライバーが参戦できるようになった
73年からは日産ワークス vs 黒澤の様相に・・・
そして翌1974年6月2日、富士グランチャンピオンレースで大事故(多重クラッシュによって、鈴木誠一・風戸裕
のドライバー2人が死亡)が発生。 黒澤はその責任を問われてレース関係者から糾弾されるとともに、
警察に書類送検されたが後に不起訴となった。
(黒澤が他のマシンに複数回にわたり故意に接触したことが事故の原因とされた・・・
北野のマシンのことでその北野がコントロールを失い、鈴木、風戸が次々と北野のマシンと激突、炎上)
なおこの事故で書類送検されたのは黒澤ひとりだけである。
なおこの事故で書類送検されたのは黒澤ひとりだけである。
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日本自動車連盟(JAF)は同年10月に開かれたスポーツ委員会において5年間の資格停止処分を発表し
、中央審議委員会において出場停止期間が1年3ヶ月に短縮されるものの、
これを受けた黒澤は競技ライセンスを返上し、現役を去った。
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当時のドライバーの証言と黒澤が後に語った内容は当然と言えば当然ですがまったくの正反対・・・
真相は神のみぞ知る、ですがその後の経緯を見ると黒澤の言い分も一理あるようです。
ただ黒澤自身の口からは日産や北野元に対するコメントは一切ありませんでした・・・
真相は神のみぞ知る、ですがその後の経緯を見ると黒澤の言い分も一理あるようです。
ただ黒澤自身の口からは日産や北野元に対するコメントは一切ありませんでした・・・
世話になったチーム関係者や同じ釜の飯を食った戦友は糾弾できなかった、ということなのか、
信じていた仲間に裏切られた、という思いからあきらめの境地に至ったのかは知る由もありません・・・
富士スピードウェイ 魔の30度バンク
【主なレース戦績】
日本グランプリ 1969年(日産・R382)、1973年全日本F2000(マーチ722/BMW)優勝
富士グランチャンピオンレース 2勝 6連続ポールポジション
全日本F2000選手権 1973年チャンピオン(マーチ722/BMW)
スカイラインGT-Rで7勝
日本グランプリ 1969年(日産・R382)、1973年全日本F2000(マーチ722/BMW)優勝
富士グランチャンピオンレース 2勝 6連続ポールポジション
全日本F2000選手権 1973年チャンピオン(マーチ722/BMW)
スカイラインGT-Rで7勝
【評価】
桜井眞一郎は「私の計測器。 普通の計測器じゃ測れないようなセンシングをしてくれる計測器だった。
それがあったからR382が出来た 。仕事のうえでは大変なありがたい計測器。お金で買えない」と評した。
星野一義は 「日産三羽ガラスの中で、ドライビングだけじゃなくてマシンの開発、セッティング能力、
桜井眞一郎は「私の計測器。 普通の計測器じゃ測れないようなセンシングをしてくれる計測器だった。
それがあったからR382が出来た 。仕事のうえでは大変なありがたい計測器。お金で買えない」と評した。
星野一義は 「日産三羽ガラスの中で、ドライビングだけじゃなくてマシンの開発、セッティング能力、
全てにおいて黒澤さんがナンバーワン」 と語る。
ブリヂストンでタイヤの設計、開発をしていた川端操は「(黒澤のように)タイヤの中身まで透いて見えるような
ブリヂストンでタイヤの設計、開発をしていた川端操は「(黒澤のように)タイヤの中身まで透いて見えるような
ドライバーは今まで出会ったことなかった」と語っている。
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Motoharu Krosawa (Gan san) and Nissan R382
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評価を見るまでもなく、そのドライビング・テクニックは圧倒的です^ ^
不幸な事故で人々から称賛されることはありませんでしたが、私は日本人の中で一番好きなドライバーです w
で、当然ガンさんのドラテクは 「バランス・スロットル」 が基本 (^_-)-☆
やっぱりこれが世界のスタンダード・テクニックってことで www
不幸な事故で人々から称賛されることはありませんでしたが、私は日本人の中で一番好きなドライバーです w
で、当然ガンさんのドラテクは 「バランス・スロットル」 が基本 (^_-)-☆
やっぱりこれが世界のスタンダード・テクニックってことで www
バランススロットル
ドライバーが何人死んでも、観客を巻き込む死亡事故が起きても、世間から糾弾されても、
決してレースから撤退しなかったFerrari ・・・
誰かの責任(出る杭は打たれる)にして物事を収めようとする大企業&日本国民・・・
やっぱり日本からは世界基準は産まれませんね (ToT)/~~~、ま、自分もその日本人なんですが ('◇')ゞ
誰かの責任(出る杭は打たれる)にして物事を収めようとする大企業&日本国民・・・
やっぱり日本からは世界基準は産まれませんね (ToT)/~~~、ま、自分もその日本人なんですが ('◇')ゞ
フェラーリ 不滅の栄光
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